耶馬-やば-
耶馬-やば-
「アシンメトリー(非対称性)」に憧れがある。なかでも人間の身体に関しては、「アシンメトリー」こそ「美」なのではないかと思っている。
もちろん、世の中には「もっとも美しいのはシンメトリー(左右対称)の顔だ」との意見があるのは承知している。承知しているが、「アシンメトリーこそ美」という持論が揺らいだことはない。
たとえば、こんな作品がある。
写真は以下のサイトより転載
https://alexjohnbeck.com/work/projects/Both_Sides_Of
ニューヨークを拠点に活動するフォトグラファー、Alex John Beck氏の『Both Sides Of』という作品だ。
左の写真は、顔の左を鏡合わせにして作った左右対称顔。写真の右は、右の顔を鏡合わせにして作った左右対称顔。どちらの顔も完全にシンメトリーで、元の顔は、左の写真の右側と右の写真の左側を合わせたものということで、人の顔の左右がいかに違うかが、よくわかる作品である。
Beck氏はこの作品の制作意図を、第一に、「左右対称顔はもっとも美しい」ことを証明するため。第二に、「顔はその人の性質をよくあらわしている」ということを証明するため、と語っているが、いかがだろうか?
多くの作品を作り上げたあとBeck氏は、第一の意図について「シンメトリーな美しさの証明どころか、アシンメトリーの美しさに気がついた」と語っているし、僕も多いに同意する。
対して、メガネはどうだ?
工業製品としての宿命なのかもしれないが、ほぼすべてのメガネはシンメトリーにできている。あくまで僕の経験の中での話だが、MonkeyFlipを始める以前に出会ったメガネの中に、アシンメトリーデザインのメガネは1本もなかった。
これは完全におかしい。
人の顔が、アシンメトリーであることで魅力的に見えるなら、顔の中心にくるメガネだってアシンメトリーであることで、かける人間をアトラクティブに魅せるはずだ。
そう考えて僕は、アシンメトリーのフレームをデザインするようになった。
もう20年以上も前の話だ。以来30を超えるアシンメトリーのフレームをデザインし、そしてわかったのは、アシンメトリー・デザインといっても、ただただ左右非対称にすればいいというものではない、ということ。
(多くの失敗作を生み出した後に、深い反省や悔恨や呪縛や希望と共に気づいた)
じゃあ何が大事って、バランスだ。
整った顔立ちが、アシンメトリーであることでさらに美しく見えるのは、バランスが良いからであり、同じようにメガネのアシンメトリー・デザインも、バランスが何よりも重要となる。そのバランスというのは、メガネ単体を見たときのことではない。人の顔にのったときの、かけた人の顔全体のバランスだ。
たとえば、この耶馬。
正面から見ると、上部が右側に向かって波が打ち寄せるようなデザインになっているし、フロントの左右は完全にアシンメトリーになっている(左端はフレームがドッシリと構えているのに対し、右端はレンズが宙に浮くようにフロートしている)。フロントから続くテンプル(耳にかかる腕の部分を専門用語でこう呼ぶ)も、完全にアシンメトリーでデザインした。
ここまで「ヘンテコ」なデザインだと、「はたしてこれが似合う人がいるのか」との疑問がでるかもしれない。しかし、である。かけてみるとアシンメトリー感は薄らぎ、ダイナミックで艶やかな魅力が漂うのだ。あるいは「ヨーロッパの香り」、あるいは「大人の色気」と言ってもいいだろう。
手前味噌になるが、アシンメトリー・デザインのフレームとしてはひとつの完成形といって過言ではない自信がある。その秘密はレンズのデザインにあるのだが、これ以上は企業秘密とさせていただき、かけ心地の話に移っていこう。
耶馬のようにボリューム感のあるフレームは、往々にして「重そう」と言われる。確かに、一般的なプラスチックフレームが○グラムであるのに対し、耶馬は○グラムあるので軽くはない。しかし、かけたときに、その重さを感じるという人はほぼいない。
顔の輪郭に自然に沿うデザインと、バネの弾力で耳にかかる部分の負担を減らすフォーク丁番の採用で、抜群のフィット感があるからだ。鼻に当たる部分や、全体の重量バランスにも細やかな配慮が施されており、長時間の使用でもストレスフリーでかけていただける一本だ。
ちなみにモデル名の『耶馬』は、日本三大奇景とされる「耶馬渓」からいただいた。フレームのモデル名で「馬」の文字を左右反転させているのは、「奇景」感を出すためである。